安芸の宮島 厳島神社の歴史

安芸の宮島を訪れ、厳島神社の参拝や観光をする人は年間400万人を超えます。

一地方の神社に、平清盛が海上社殿の傑作を造るきっかけとなった“お告げ”とは。平家滅亡後に衰退した神社を、毛利元就が造営したわけとは。

厳島神社の歴史と鍵を握る重要人物を知っておくと、宮島観光がより面白くなります。

厳島神社 創建から平清盛登場までの歴史

伊都伎嶋神社(後の厳島神社)を創建したのは推古元年(593年)、土地の豪族・佐伯鞍職(さえきのくらもと)。安芸国(現在の広島県西半分)で最も格式の高い“一宮” として、多くの人々に崇められていました。神主は代々、佐伯氏が世襲しています。

厳島神社が平清盛とのかかわりを深めるのは、安芸守になった1151年頃から。

『平家物語』によると、清盛が勅命で高野山の大塔の修理を終えた後、老僧が現れて「荒れ果てた厳島を修理すれば、高い官位を保証する」と告げた。清盛はこの老僧を弘法大師と信じて厳島の再興に尽力したとあります。

平家の華麗な経典を奉納

「平氏にあらずんば人にあらず」と言わせた平家の繁栄とともに厳島神社は有名になって、公家、貴族たちの厳島参詣が流行したという。

瀬戸内の干満の差は大きく、潮が満ちると社殿まで潮が迫り、手をのばせば水面に届く高さ。公家や貴族の驚く姿が目に浮かぶようです。

平清盛は、武士では初めて朝廷の最高職である太政大臣になり、絶大な権力を持ちます。そして平家一門の繁栄と極楽往生を願って、平家納経(経典・国宝)を厳島神社に収めました。

30巻からなるこの経典は、金銀、螺鈿(らでん)などで飾られた当時の装飾経の最高峰といわれ、大和絵の史料としても貴重なもの。宝物館でレプリカを公開、本物は春と秋に一部が公開されます。

厳島に起こった歴史上の事件「厳島合戦」と毛利元就

平家滅亡、戦乱などで荒廃した厳島神社を立て直したのは毛利元就。

1571年、厳島合戦で勝利した毛利元就は、この勝利は厳島大明神のご加護であり、また神域を戦で汚しておそれおおいと考え、大掛かりな社殿の修復に着手。その際、両軍の戦死者や負傷者を対岸へ移し、流血で汚れた土砂は削って海に投じ、血で汚れた回廊の板は取りかえるか海水で洗い清めたという。

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1587年には、豊臣秀吉が九州遠征の際に武運を祈願し、千畳閣(大経堂)を造営。

江戸時代になると厳島参詣は民衆に広まり、門前町は多くの参拝者で賑わったといいます。

ちなみに厳島神社の祭神は、市杵島姫命(いちきしま ひめ の みこと)、田心姫命(たごりひめ の みこと)、湍津姫命(たぎつひめ の みこと)の三神、俗に言う弁財天女です。

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フジヤミユコ

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投稿者プロフィール

東京都出身のフリーライター・編集。温泉に入る、寿司を食べる、旅をする、この3つが生きる糧。旅行、観光、料理を中心とした雑誌、パンフレットなどの印刷物に携わっています。

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