日光東照宮「三猿」はを作った人は誰なのか?

「見ざる、聞かざる、言わざる」で有名な日光東照宮の三猿。

誰もが知っている彫刻ですが、製作者は不明なまま。

見事な出来栄えからすると、腕の立つ彫師の作なのに違いありません。

いったい誰がいつ作ったのか? 謎に迫ります。

日光東照宮の三猿は、馬小屋を飾る彫刻絵本

入口の表門をくぐると、左手に神厩舎(しんきゅうしゃ)と呼ばれる馬小屋が建っています。三猿があるのは、神厩舎の上部の長押(なげし)。

“馬と猿”の組み合わせはちょっと意外な気がしますが、古くから猿は馬の病気を治す馬の守神といわれ、室町時代までは猿を馬小屋で飼う習慣があったといいます。

神厩舎は寛永12年(1635年)に建てられたので、三猿の制作も同時期でしょう。

三猿は「見ざる、聞かざる、言わざる」のシーンだけでなく、猿の彫刻が8面続くいわば8ページの彫刻絵本。猿の一生を描いた物語になっていて、誰にでもわかるよう解説がそれぞれに書かれています。

日光東照宮には、作者不明の彫刻ばかり

抜群の知名度を誇る三猿ですが、いまだに作者は解明されていません。

作者不詳なのは三猿に限ったことではなく、日光東照宮の建物を飾る膨大な数の彫刻のほとんどは、作者が不明なのです。むしろ左甚五郎作とされた「眠り猫」のように、作者名が伝えられている方が少ないのです。

工事の総指揮をとったのは、幕府作事方大棟梁の甲良豊後守宗広(こうらぶんごむねひろ)。

唯一の工事記録『日光東照宮大権現様御造営目録』や伝承によると、「平大工」「彫物大工」「木引」の3つの職を統括し、彫物が得意な人物でもあったようです。


三猿の製作者として考えられるのは誰?

神社仏閣、宮殿などの装飾彫刻「宮彫(みやぼり)」はプロの専門職「宮彫師」の仕事ですが、日光東照宮が建った頃は、まだ大工が彫刻を作っていました。

3代家光の東照宮の建て替えのとき、彫物を専門に手掛ける彫物大工が誕生したようです。

『東照宮御造営帳』によれば、本殿・拝殿だけで、延べ22万人を超える彫物大工が従事したとあります。名は残せませんでしたが、命がけで職人の技を競い合って後世に伝わる彫刻を残したのですね。

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フジヤミユコ

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投稿者プロフィール

東京都出身のフリーライター・編集。温泉に入る、寿司を食べる、旅をする、この3つが生きる糧。旅行、観光、料理を中心とした雑誌、パンフレットなどの印刷物に携わっています。

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