世界遺産「姫路城」の歴史を振り返る

17世紀初頭の日本の城郭建築を代表する史跡建造物として、1993年に奈良の法隆寺とともに、日本初の世界文化遺産となった国宝「姫路城」。

日本100名城などにも選定され、その美しさは誰もが知るところですが、築城した武将の名前や、どのような変遷を遂げた城なのか? までは、歴史通でないと答えられないかもしれません。

ここでは姫路城が歩んできた約670年におよぶ歴史について紐解いていきたいと思います。

姫路の名の由来

そもそも姫路城の「姫路」という名ですが、天守が置かれている「姫山」を古名で「日女路(ひめじ)の丘」と称したことから呼ばれるようになったようです。地名としての「姫路」という呼び方は、江戸時代初期の文献から池田輝政が城主になったころから広まったのではないかと言われています。

1346年に赤松貞範が築城か

諸説ありますが、姫路城の始まりは1346年の赤松貞範による築城とする説が有力で、播磨姫路藩10代藩主で最後の藩主となった酒井忠邦まで約530年間13氏・48代が城主を務め、戦火にまみれることなく今日に至っています。

赤松氏の後、羽柴秀吉や池田輝政は姫路城を西国統治の重要拠点として扱い、城を大改修して広大な城郭を築き、徳川幕府が開かれた後の1617年に本多忠政が西の丸を整備して、ほぼ現在の城の全容が整ったとみられています。


「不戦の城」として現代を生きる

明治時代には陸軍の兵営地となり、多くの建物が取り壊されてしまいましたが、後に大小天守群・櫓群などが名古屋城とともに国費によって保存される処置がとられました。

陸軍の部隊が置かれ、軍需産業の拠点でもあった姫路は、太平洋戦争で2度も空襲被害に遭いましたが、「不戦の城」として奇跡的に焼失を免れたため、大天守をはじめ多くの城郭建築の姿を残すことができました。名城としての美しい外観を保つため、「昭和の大修理」に続き、現在も2015年3月まで大天守の保存修理工事が行われていますが、文字通り姫路市の観光・文化の中核となっています。

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umechiha

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投稿者プロフィール

建設業界の専門紙で記者をしていました。当たり前のことですが、ネットの情報をそのまま記事化するのではなく、記者時代の取材力を活かし、電話取材などで裏付けをとった最新の情報で記事化するようにしています。
建設・不動産分野はもちろんのこと、三姉妹の育児を通して感じたことを中心に、楽しくてコストパフォーマンスの高い情報を分かりやすく皆さまにお届けできたらと思っています♪

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