高野山奥の院の地下はどうなってるの?

高野山は標高900mの山上の盆地に開かれた、真言密教の聖地であり、高野山真言宗の総本山です。現在においては、日本国内のみならず、世界各国からも参拝客が訪れる宗教都市となっています。

約1200年前に弘法大師・空海がこの高野山に修行道場を開いたことが始まりとされています。とりわけ奥の院は高野山の代表的な聖地であり、御廟の地下3mの霊窟には、今でも禅定を続ける空海がいるとされています。本当なのでしょうか。

空海の入定

空海は835年に、高野山奥の院の御廟の地下で、入定(にゅうじょう)したとされています。入定というのは、亡くなったわけではなく、宗教的な瞑想に入ったということです。つまり現在も空海は生きて禅定を続けているとされているのです。

入定とは、真言密教の究極の修行の一つです。断食をして、ミイラ化となり即身仏になるのですが、真言密教ではこれを死ではなく永遠の生命を獲得したとされます。

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「今昔物語」の記述によると、921年に東寺の長者だった観賢が奥の院を訪れました。醍醐天皇から「弘法大師」の送り名を賜ったため、空海にその報告をしに来たというのです。観賢が廟所を開けたところ、空海は生きており、その顔色は生前と変わらなかったといいます。

観賢は空海の伸び放題だった髪や口髭を剃って、醍醐天皇から賜った御衣に着替えさせたそうです。その後、観賢は廟所の扉を封印してしまいました。

お参り

私たちが奥の院をお参りする際には、一の橋や中の橋などの橋を渡り、20万墓以上ある墓石が立ち並ぶ参道を通って、灯籠堂の地下に入っていきます。

今でも空海が禅定をしているとされる霊窟から、わずか十数メートルの距離からお参りすることができます。

もちろん、即身仏としての姿を直接うかがうことはできませんが、蝋燭の灯影のあいだから空海の肖像を見ることができます。実際にここへ立てば、特別な空間であることを感じ取ることができるでしょう。

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pekotaro

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投稿者プロフィール

1981年生まれです。昼間は家事育児に奮闘している、ごく普通の主婦です。子どもが就寝した後の、自由気ままなゴールデンタイムに、ライターのお仕事をしています。趣味は旅行や温泉、グルメなどで、最近ではわが子と一緒に遊ぶのも趣味になってきました。子育ては大変なこともありますが、子どもの成長を見ていけることが、何よりの喜びです。ライターとしては、読み手の人たちに分かりやすい文章を書くよう、心がけています。

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