京都で人気の観光地 二条城の歴史とは?

徳川家の栄枯盛衰の姿を含め、日本の歴史の移り変わりを400年以上もの間見守ってきた「二条城」。

1939年には二の丸御殿が国宝に、その他22棟の建物が重要文化財に指定され、1994年にはユネスコ世界文化遺産にも登録されました。日本のみならず世界から注目を集める二条城はどのような歴史を歩んできたのでしょうか? ここではそんな二条城の歴史について分かりやすく紹介したいと思います。

家康の権力の強さを証明した建築物

二条城は京都市中京区二条通堀川西入二条城町にある平城で、江戸幕府初代将軍・徳川家康によって建てられ、1603年に完成しました。

京都御所の守護と上洛の際の宿泊所として使用するために造営したものですが、造営費用や労務については、天下普請(江戸幕府が全国の諸大名に命令して行わせた土木工事のこと。道路整備や河川工事などインフラ整備も含む)の制度を使い、西日本の諸大名に負担させました。造営総奉行には京都所司代の板倉勝重、建築の大工棟梁には中井正清が任じられました。

徳川家の栄枯盛衰を見続けた不思議な運命

二条城では家康と豊臣秀頼との会見が開かれたほか、江戸幕府が豊臣宗家を滅ぼした戦い「大坂冬の陣・夏の陣」の本陣とするなど、徳川家の隆盛を誇る場所として使用されました。

しかしその後は将軍の上洛もなくなり、雷火や天明の大火で城の一部が焼失するなど災難に見舞われ、衰退の一途をたどることになります。

二条城が再び脚光を浴びることになったのは、1867年に江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行った時でした。慶喜は二の丸御殿大広間に在京諸藩の重臣を集め、そこで大政奉還の意思を発表したのです。

nijojo

結婚式会場として新たな魅力を発信

明治に入り、城内には現在の内閣にあたる太政官代が置かれ、二の丸御殿内には京都府庁が設置されました。二条城は800年近く続いた武士の世から天皇中心の世へと転換された激動の幕末期において、日本の新しい歴史を見守り続けた重要な史跡だったと言えるのではないでしょうか。

現在では「世界遺産 二条城ウエディング」と題した結婚式が行われるなど、拝観以外でもその魅力を発信続けています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
umechiha

umechiha

投稿者プロフィール

建設業界の専門紙で記者をしていました。当たり前のことですが、ネットの情報をそのまま記事化するのではなく、記者時代の取材力を活かし、電話取材などで裏付けをとった最新の情報で記事化するようにしています。
建設・不動産分野はもちろんのこと、三姉妹の育児を通して感じたことを中心に、楽しくてコストパフォーマンスの高い情報を分かりやすく皆さまにお届けできたらと思っています♪

この著者の最新の記事

あわせて読みたい人気記事

オススメ関連記事

ページ上部へ戻る