首里城の歴史 簡単まとめ

約450年もの歴史を持つ琉球王国の政治や文化の中心地として栄華を誇った「首里城」。

鮮やかな朱色に彩られたその姿は、まさに沖縄のシンボルそのものと言えるのではないでしょうか。ここではそんな首里城の歴史を簡単に紐解いてみたいと思います。

築城主不明、尚巴志が拡張整備

残念ながら、首里城の創建年代については明らかになっておらず、築城主も不明で、近年の発掘調査の結果から14世紀末のものではないかと考えられています。尚巴志が1429年に琉球王朝を開いた際に、首里城を王家の居城としてふさわしい城へと拡張整備したことはわかっています。

過去に4度の焼失

首里城は驚くべきことに、これまで4度も焼失にあっています。最初の焼失は1453年に第一尚氏の尚金福王の死去後に発生した王位争いによるものでした。2度目の焼失は1660年に起き、再建には11年もの歳月を要しました。3度目の焼失は1709年に起きた火災が原因でした。そして4度目は太平洋戦争中の沖縄戦の際です。日本軍が首里城の下に地下壕を掘って陸軍総司令部を置いたことから、アメリカ軍艦ミシシッピなどから砲撃を受け、1945年5月27日に焼失したとされています。

私たちが目にすることができる現在の首里城は、3度目の火災の後再建された首里城の姿を基にしており、4度目の焼失後の本格的な再建は、首里城公園の開園に合わせ1980年代末から本格的に行われるようになりました。

ちなみに首里城は2000年12月に『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されましたが、正式には「首里城跡(しゅりじょうあと)」で登録されており、復元された建物や城壁は世界遺産にはなっていません。

2005-08 沖縄の首里城 - Shuri Castle in Okinawa 2

1992年に4度目の再建

さて、話を首里城の歴史に戻します。1429年に琉球王朝が開かれた後しばらくは、独立国家の体裁を保っていましたが、1609年に薩摩藩の島津氏から進軍されて以降は、薩摩藩と清王朝へ両属という独自の体制をとり、自分たちの文化を維持しました。1879年に廃藩置県により、首里城から国王が追放され、沖縄県令として鍋島直彬が赴任したことで、王統の支配は終わってしまいました。

「沖縄県」となった後の首里城は、日本軍の駐屯地や大学が置かれたりはしましたが、戦後間もないころからの県民の悲願もあり、首里城公園の開園に合わせ1992年に再建されました。現在も正殿の裏側にあたる城郭や建築物群の再建事業が引き続き行われています。

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umechiha

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投稿者プロフィール

建設業界の専門紙で記者をしていました。当たり前のことですが、ネットの情報をそのまま記事化するのではなく、記者時代の取材力を活かし、電話取材などで裏付けをとった最新の情報で記事化するようにしています。
建設・不動産分野はもちろんのこと、三姉妹の育児を通して感じたことを中心に、楽しくてコストパフォーマンスの高い情報を分かりやすく皆さまにお届けできたらと思っています♪

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